DDTはかつて「万能の殺虫剤」として広く利用され、農業や感染症対策において重要な役割を果たしました。しかし、その強力な効果の裏には、環境や生態系への深刻な影響が隠されており、1960年代以降、その有害性が指摘されるようになりました。現在では多くの国で使用が制限されているものの、発展途上国においては依然として感染症予防に使用されています。
目次
殺虫剤などで広く使用されたDDT
DDTは殺虫剤や農薬として、かつて日本を含む世界各国で広く使用されました。DDTとはどのようなもので、なぜ広く使用されたのでしょうか?DDTの歴史や特徴をご紹介します。
◇DDTとは
DDTとは、Dichloro Diphenyl Trichloro ethaneを略した言葉であり、有機塩素系殺虫剤であるジクロロジフェニールトリクロロエタンのことです。1873年にドイツの学者が初合成し、1939年にスイスのパウル・ヘルマン・ミュラー博士がその強力な殺虫効果を発見しました。
人間など高等な生物に対しての急性毒性が低く、安価に大量生産できるうえ、蚊やハエ、シラミ、ナンキンムシ、アブラムシ、ノミなどを強力に殺虫してくれます。現在は主に中国とインドで製造されており、発展途上国での感染症対策の他、一部では農薬としても使用されています。
◇かつて広く使用されていたDDT
DDTは、安さと効果、高等生物への急性毒性の低さから、「夢の化学物質」「万能の殺虫剤」などと呼ばれ、食糧増産や感染症撲滅を後押しするものとして広く積極的に使われてきました。当初はシラミ・ノミ・蚊などの害虫駆除剤として、その後は農薬として使われ、使用開始から僅か30年で300万トン以上が使われたともいわれています。
第二次世界大戦中は、イギリスとアメリカがDDTの生産を工業化し、戦地での疫病対策として導入しました。戦後になると、日本でもシラミ対策として初めて導入され、やがて稲や果物、野菜の害虫防止に広く使われるようになりました。
このように、DDTは全世界で広く使われましたが、レイチェル・カーソンが「沈黙の春」においてその有害性を明らかにした1962年以降、その流れは大きく変わることとなります。
DDTの人体や生態系への影響と危険性

画像出典:フォトAC
1962年にレイチェル・カーソンが出版した「沈黙の春」は、アメリカにおいてベストセラーとなりました。その中では、DDTが生態系や人体に与えうる悪影響が詳細に指摘されていました。
◇生態系への影響
DDTは強力な殺虫効果があるぶん、受粉を手助けするミツバチのような、人間にとっての益虫も殺してしまう可能性があります。また、レイチェル・カーソンは「沈黙の春」において、DDTは油に溶けやすく分解されにくいこと、食物連鎖の過程で濃縮されていくことを指摘しました。
実際に、害虫駆除のためDDTに似た物質が散布されたアメリカの湖において、カイツブリという鳥が大量死したことが知られています。DDTの影響は、神経系や肝臓、ホルモン分泌組織、生殖、胎児の発育、免疫系など広範囲に及ぶとされ、動物実験では肝臓での腫瘍形成も確認されました。
◇人体への影響
先ほど解説したとおり、DDTは油に溶けやすいうえ分解されにくく、食物連鎖の過程で濃縮されていきます。プランクトンから魚、魚から鳥、というように高等生物になるほど濃縮され、私たち人間が普段口にする家畜や魚に蓄積されるのはもちろん、ミルクや卵にも移行します。
哺乳類や鳥類への急性毒性は低いとされているものの、動物実験の結果などから、人間に対しての悪影響は否定できません。1970年代の母乳からは現在の10倍以上のDDT類が検出されたとする報告、DDTと男性の生殖器異常の関連を示唆する報告も上がっています。
DDTの使用制限と代用品の開発
レイチェル・カーソンの指摘以降、DDTはその悪影響が広く認知され、使用や製造が厳しく制限されるようになりました。
◇日本では使用禁止
アメリカでは、1972年に環境保護の観点から使用が制限され、やがてDDTを含む有機塩素系農薬の生産量が全盛期の三分の一以下まで減少しました。その有害性は他国でも広く認識され、2000年までに先進国を中心に40以上の国で使用が禁止・制限されています。
2001年には、「残留性有機汚染物質(POPs)に関するストックホルム条約」において、産業廃棄物に含まれるPCBなどと同様に、全世界における製造や使用の制限が採択されました。
日本でも、1971年に「農薬取締法」においてDDTの販売が禁止され、1981年に「化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律」において製造・輸入が禁止されました。
◇DDTに変わる農薬の開発
DDTの販売や製造が禁止されて以後、日本ではより毒性の低い有機リン剤・合成ピレスロイド系・成長抑制剤(IGR剤)・ネオニコチノイド系の農薬が開発され、広く出回るようになりました。
有機リン剤
DDTと並行して広く使われましたが、中毒事故の多発により、毒性の高さが問題視されるようになりました。その後、毒性を減らしたマラソン・ダイアジノンなどが開発され、現在は殺虫剤の主力を担っています。
合成ピレスロイド系
除虫菊から作った殺虫剤であり、多種多様な昆虫に少量で素早く効きますが、魚に対する毒性が強い、昆虫が耐性を得やすいというデメリットが指摘されています。
成長抑制剤(IGR剤)
ホルモンなど、昆虫が成長するための成分を抑制し、最終的に死にいたらしめます。既存の殺虫剤に耐性のある昆虫にも効果が高く、他の生き物への影響も抑えられます。
ネオニコチノイド系
タバコの葉から作った天然の殺虫剤として、戦前から広く使われてきました。かつては駆除対象以外にも効きすぎるという問題がありましたが、現在は特有の基本構造によりそれを解決したものが出回っています。
DDTの上手な活用が求められる
DDTは生態系や人体に与えうる悪影響から、世界的に禁止・制限されることとなりました。しかし、未だDDTに代わる成分は開発されておらず、その有用性から上手な活用が求められています。
◇感染症撲滅に確かな功績
マラリアは、HIV・結核と共に「世界三大感染症」と呼ばれ、年間3~5億人が感染し、150~270万人が死亡していると推測されています。アフリカやアジア、南太平洋諸国、中南米など95の国や地域で確認されており、死亡者の93%はサハラ以南のアフリカ、特に5歳未満の子どもに集中しています。
DDTは、マラリアを媒介する蚊を駆除することで、多くの人命を救ってきました。DDTによって救われた人命は、5000万人とも一億人とも言われ、1948年には、効能の発見者であるパウル・ヘルマン・ミュラー博士がその功績を称えられ、ノーベル生理学・医学賞も受賞しました。
DDTの功績は戦後日本においても大きく、発疹チフスにより200万人が死亡すると予想されていたものの、シラミの駆除によりそのほとんどが救われています。
◇使用禁止による影響
スリランカでは、1948~1962年にかけてのDDTの定期散布により、年間250万人にも上るマラリアの感染者が、31人にまで激減しました。しかし、DDTの使用禁止以降、僅か5年程で元に戻ってしまっています。南アフリカや中南米の途上国においても、同じような事例が多く確認されました。
◇DDTが未だに必要とされている
人類はDDTに代わるより安全な成分を探し続けてきましたが、同様の効果を持ち安価に大量生産できるものは未だ見つかっていません。
実際に、2001年の「残留性有機汚染物質(POPs)に関するストックホルム条約」においても、「疫病を防止するため、かつ代替品がない場合のみ、WHOの指示に基づいて使用を許可する」という条項が加えられています。
これに基づいて、2006年には、WHOが「マラリアとDDTのリスクを比較して、マラリアのリスクが上回る場合のみ使用を許可する」という指示を出しました。WHOは少量のDDTを家の壁などに吹き付けるやり方を勧めており、それを守れば環境への悪影響を抑えてマラリアを予防できるとしています。
DDTはかつて「夢の化学物質」として世界中で広く使用されましたが、生態系や人体への悪影響が問題視され、現在は多くの国で製造や使用が禁止・制限されています。特に、1962年にレイチェル・カーソンの著書『沈黙の春』がその危険性を広く知らしめました。
しかし、DDTはマラリアを媒介する蚊を駆除し、多くの命を救った実績もあり、代替品が見つかっていない現状では、発展途上国での感染症対策に限定的に使用されています。
ストックホルム条約に基づき、WHOはマラリアのリスクが高い場合に限り、環境への影響を抑えながらDDTを使用することを推奨しています。このように、DDTは功罪両面を持つ物質として、慎重な管理のもとで今なお重要視されています。